相模灘、
温暖な気候と、海の幸に恵まれ
避暑地や別荘地としても利用され御用邸や、
総理大臣が住んでいたこともあります。
この相模灘にある信仰があります
キノミヤ信仰です。
樹木の神か、漂着した神をまつられています。
木の宮、紀伊の宮と されていたのでしょうか
以前は木宮と書かれていました。
ここの御神体は漁師が海から引き上げたもの
そして、大楠の大木がまつられています。
来福・縁起の神として古くから信仰されています。
由緒
今から凡そ千三百年前和銅三年六月十五日に熱海の海へ漁夫が網をおろしていたところ、お木像らしい物が之に入ったので不思議に思っていたところ、ふとそこに童子が現れ「我は五十猛命である。」
此の地に波の音の聞こへない七体の楠の洞があるからそこへ私をまつれ、しからば村人は勿論当地へ入り来る者も守護するからと云うと同時に童子は地に伏してしまったので、村人一同で探し当てた所が、今の此の地であり、毎年六月十五日(新暦の七月十五日)になると海岸へ出て当時を偲ぶお祭りを行う。(七月の例大祭。こがし祭)
当時海辺で神に麦こがしをお供へした故事にならい今でも古くから引き続いてこれを神に供えて、尚、国の天然記念物に指定されている此の大楠は、当社の御神木(ヒモロ木)であって、太古は此の楠へ神の霊をお招きして神をまつっていました。
奈良・平安期の征夷大将軍坂上田村麻呂公は戦の勝利を祈願し、熱海来宮神社の御分霊を東北地方を始め、各地を統制して行ったと伝えられます。
此の地に波の音の聞こへない七体の楠の洞があるからそこへ私をまつれ、しからば村人は勿論当地へ入り来る者も守護するからと云うと同時に童子は地に伏してしまったので、村人一同で探し当てた所が、今の此の地であり、毎年六月十五日(新暦の七月十五日)になると海岸へ出て当時を偲ぶお祭りを行う。(七月の例大祭。こがし祭)
当時海辺で神に麦こがしをお供へした故事にならい今でも古くから引き続いてこれを神に供えて、尚、国の天然記念物に指定されている此の大楠は、当社の御神木(ヒモロ木)であって、太古は此の楠へ神の霊をお招きして神をまつっていました。
奈良・平安期の征夷大将軍坂上田村麻呂公は戦の勝利を祈願し、熱海来宮神社の御分霊を東北地方を始め、各地を統制して行ったと伝えられます。
ここは、人から愛されているだけでなく
エネルギーの高い場に
長く信仰されているエネルギーも相まって
良い神社です。
予定がなくても
うかがってしまいました