奈良の東大寺 盧遮那仏。
奈良の大仏として知られていいます。
大仏作成の実質的な責任者 行基。
大仏造立という国家事業の責任者となるまで、
たびたび国家から度々の弾圧を受けています。
その理由は
直接、民衆に社会事業を成し遂げながら
仏教を布教したから です。
当時、朝廷は民衆への直接の布教を禁じていて
その禁を破ってまで、布教と社会事業をつつけていたからです。
後に、社会事業は発展を続け
技術力や動員力に優れ
反政府の意思はなく、力を認められ
「大徳」の諡号までいただいています。
日本に入ってきた仏教は
行基のように
みんなを救うという大乗仏教です。
ところが、みんなを救うという意味合いは
入ってきていないようでした。
さかのぼって見てみると
最初から権力争いを起こしていました。
崇仏論争というのがありました。
日本の神をないがしろにするという
国中で論争があったというやつですね。
仏教推進は蘇我氏
仏教反対は物部氏
という色付けがされていますが
蘇我氏は国神を軽んじてはいません、重要視していました。
物部氏も氏寺を持っていて、単に仏教に反対しているわけではありません。
仏教に対する論争というより、豪族の利権争いです。
国の制度として【仏教を国家祭祀にするか】という問題です
その利権に挑戦したのが蘇我氏です。
仏教が日本に入ってきた理由は
緊迫する大陸情勢という外交理由です。
日本から援軍がほしいため先進文化を贈り交流を深め
百済のバックで仏教に熱心だった、中国南朝の梁によろこんでもらうため
百済としての理由がありました。
また、国内でも辛亥の変と
よばれる内乱がありました
現在の皇室の始祖と考えられる
継体天皇の亡くなった年に起こる内乱です。
2年間天皇不在という不安定状態を作っていました。
先進文化を取り入れることは国内的にも大きな意味がありました。
日本では死や病気に対する対策として仏教が期待され
「仏教は国を守る力があるとする」鎮護国家の考えなど
皇族や貴族を中心として取り入れました。
実際には、当時の仏教の僧侶は
今から見ると学者や官僚という位置づけに近いものだったようです。
その文化は、仏教としても優れたものです。
そこにある悟りのエネルギーはいまだ衰えていません。
しかし、大乗仏教でありながら
わずかな人たちの救いとしての仏教でした。
いつしか寺の権力は
天皇の地位すらおびやかし始めました。
行基のような民衆のためと言うより
権力の一つとなっていきました。
★無料メルマガ
【必ず未来と運勢の良くなる秘訣】
幸せになれる秘訣を発信するメルマガです。
ブログには、書ききれない情報や、
メルマガ読者限定のメニューをご案内しています。
下記の登録フォームより御申し込みください。
登録、解除ともに、簡単にできます。
再登録もご自由に☆とりあえず、のぞいてください。
クリックも、購読もお金がかかりません^^
https://55auto.biz/apricotbrain/touroku/entryform2.htm
アプリコット ブレインの情報と、 お金。恋愛。幸せになる方法をお届けしています。
Apricot brain
⛩️神社仏閣紀行⛩️
人気記事
イベント情報
あなたの波動を高め
身体・心・エネルギー体・霊的バリア・お顔美容・ 病気やケガなど治療へのバックアップ・親子などの問題を解消に導くヒーリングです
開運(人間関係・恋愛・お仕事・お金・パートナー)のヒーリング
現実的な問題を癒やすヒーリング
お金のことや、愛情やパートナーシップ、
人間関係に対する問題を改善されたい方におすすめのセッションです。
心の傷を潜在意識や、より深い部分から癒やしていくセッションです
本来の自分、生きる指針はご自身の中にあります。
見えない力を発揮するためのヒーリングです
お守りグッズ
スピリチュアルテレビでの無料ヒーリング
アプリコットブレインのヒーリングを無料でお試しいただけます
水曜日20時から行っています
気軽にお問い合わせ下さい! 各種サービス、お問い合わせはこちら!