天正18年(1590年)
徳川家康が江戸入城後、本丸築造に当たり上平河村に奉遷した。
さらに慶長11年(1606年)に、
徳川秀忠が
江戸城増築に伴い現在地に奉遷された。
塙保己一の住まいの和学講習所は、現在の
千代田区三番町24にあった。
火災による十数度の類焼を被っており、
1945年(昭和20年)の戦災ではほとんどの施設を焼失していた。
戦後、仮社殿にて祭祀を執り行っていたが、
1969年(昭和44年)に本殿が再建された。
学問に心を寄せる人々は、古来より深く信仰し、
現在も学問特に医学や芸能、商売繫盛の祈願者が多くいる。
銅鳥居の丸は
機銃掃射の痕